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バッハ閑話
(このページの製作者は 頭蓋調整、その他治療 のプラクティショナーです)
バッハ、チェンバロ協奏曲集  BWV 1052 〜 1065
ユゲット・ドレフェス ERATO (仏) STU71181 (P1979)
4台のチェンバロを並べて撮ったLPのジャケットデザインは、迫力があります
LPのパッケージは、CDには無い存在感があります
@バッハとの出会い
バッハとの出会いは大学4年の頃、高校時代の親友がバッハのバイオリン協奏曲のレコードを持って私の家に遊びに来たのが最初でした。
会社に入り、学生時代とは異なり毎朝決まった時間に家を出る事になり、NHKFM放送の『 バロック音楽の楽しみ 』を目覚まし代わりに起床する事にしました。
『 バロック音楽の楽しみ 』ですから、バッハの曲はしばしば放送され、当時はまだ新入社員で、1枚¥2500−くらいしていたLPレコードはそう簡単には買えず、バッハのプログラムが放送される度にカセットテープに録音していました。
ところが、バッハのプログラムを何回録音しても次々とまだ知らない曲が放送される感じで、 『 バッハの作った曲は一体いくつくらいあるのだろう? 』 との疑問が湧き、バッハについて解説された本を買ってざっと読んでみました。そして、バッハの曲にはBWV番号と言う一種の整理番号が付けられていて、その番号も1080番まである、と言う事はその番号だけ曲があるらしい、『 確かに次から次へと知らない曲が出て来ても当然だよな〜。 』と妙に納得した事を憶えています。
このような感じで、徐々にレコードも増えて行きました。
更に聞いていると、同じ曲でも演奏家によって随分感じが変わる事に気が付いて、『 この演奏家だとあの曲はどんな感じになるのだろう? 』と言う疑問が湧いて来て、こうなるとレコードが加速度的に増えて行きます。
バッハ、フーガの技法  BWV 1080
グスタフレ・オンハルト演奏 (P1969) グレン・グールド演奏 (P1962)
ハルモニアムンディ(独) 165-99 793/94 オランダフィリップス CBS60291
レオンハルトとグールドの演奏は、同じ曲とは思えない程の違いがあります
グールドはこの曲をパイプオルガンで演奏していますが、
力強くハイスピードで、グールドでしか表現出来ない世界がそこに現れます
(オルガンの重低音が録音されおり、オーディオ的にも面白いレコードです)
レオンハルトは集中力溢れる演奏で、自己の内面に深く入って行きます
★ 両方とも、素晴らしい演奏です ★
色々と聴いているうちに、好みもチェンバロの器楽曲に収束して行き、同時に装置によっても随分印象が変わる為、徐々にオーディオ装置のグレートアップにものめり込んで行きました。
装置につきましては、『 オーディオの部屋 』を覗いてみて下さい。
また、同じレコードであっても、日本でプレスされたレコードより、ヨーロッパプレスの方が音の鮮度が高くクオリティが高いケースが圧倒的に多く、国内プレスのレコードは全く買わなくなり、ヨーロッパプレスのレコードを集めるように成りました。
この辺りも、ヨーロッパプレスのレコードを絶賛していた長岡鉄男氏の影響が大きいです。
その後、変遷はありますが、一貫してバッハを中心に聞き続けています。
結局、ヨーロッパプレスを中心に約700枚のバッハのLPレコードが手元に集ってしまいました。
その様な中で、主だった曲については、『 これは!! 』 と言う、私にとって、録音、演奏、楽曲と三拍子揃ったソフトに出会う事が出来ました。
私の経験では、ひとたび『 これは!!! 』と言うソフトに出会うと、同じの曲に関しては、この後に他の演奏家のソフトをいくら入手しても、この演奏をしのぐソフトには殆ど出会えない感じです。
そうなるとだんだん新しいソフトは買わなくなり、ここ数年、と言うより会社員を辞めて現在の仕事に移ってからは新しいソフトは殆ど買っていません。
このへんで、打ち止めの感じです。
結果として、私の場合、収集が目的(コレクター)では無かった様です。
しかし、本当に気に入った数十枚のソフトを気分に合わせて聞いているだけで十分に楽しく、実にリッチな状況です。
Aバッハの指し示す世界 ( 対位法について )
私は音楽について特に教育を受けた事は無く、歌もうたえないし、楽器も出来ません。
全くの素人ですが、バッハの音楽に対して一番感じる事は、『 バッハの世界は正に数学とか哲学の世界ではないだろうか。 』 と言う事です。
ある一つの音が存在したとして、この一つの音に対して次に来る音のバリエーションはものすごい広がりがあると思いますが、ともかく次の音が来るとします、この二つの音に対して三番目の音は理想とか調和とか、その様な概念によりもう少し狭いバリエーションとして定める事が出来るのではないか?三番目が定まれば、同じような概念で必然的に四番目、五番目と定って来て、同時に、最初の四つの音に対して次の四つの音が、六つの音に対して次の六つ音が、この様に理想とか調和の概念により曲の構成が複合的な構造物として定まって来る様な気がします。
バッハの音楽をこの様に感じると、これはもう、数学とか哲学の世界だと私には思えて来ます。
更にこの事を推し進めると、必然的に(極めて主観的な必然では在りますが)曲が構成されてしまう事になります。
この様なイメージを最初に感じたのは、カナダ出身のチェンバロ奏者、ケネス・ギルバート演奏のトッカータを聞いた時でした。
バッハ・トッカータ集、ケネス・ギルバート演奏 (独アルヒーフ)
BWV903   BWV912
BWV913   BWV914
BWV916   BWV906
BWV894   BWV915
BWV911   BWV910
BWV989   BWV992
431 659-2 (P1991) 437 555-2 (P1993)
ケネス・ギルバートは、日本では殆ど知られていない様ですが、私の一番好きな演奏家です。
この時に感じたイメージをもう少し具体的に現すと、バッハの楽曲が正に彫像の様に構造的にイメージされ、一つ一つの音そのものが個々の存在として数学的哲学的な意味を持ち、同時に複数の音もやはり相互に関係する構造物として数学的哲学的な意味を持ち、その全体は調和とか理想と言う言葉で表現できる形に構成されている感じがしました。
この経験は、私のバッハに対する一つの転機だったと思います。
そして、バッハの楽曲をこの様に感じると、これらの楽曲はおたまじゃくしの存在そのものに本質的な意味が在り、それ以上出も以下でもないような気がして来ます。
同時に、限りない存在の至福感、生きている事の嬉しさを感じます
★ バッハの音楽は、神の存在そのもではないだろうか ★
(私は特定の信仰は持っていません、『 神 』はあくまで便宜上の表現です)
B バッハとオーディオ
平均率クラヴィア曲集  BWV846 〜 893
ケネス・ギルバート (独)ARCHIV 413 419-2 (P1984)
演奏も素晴らしいですが、オーディオ的にも素晴らしい1枚
ジャケットにレオナルドダビンチを用いた製作者の思いが伝わって来ます
オーディオについてバッハのチェンバロ曲の再生と言う視点で、少し書いてみます。
『 バッハのチェンバロ曲の澄んだ響きを最高の音質で再生したい。 』との思いで装置のチューニングも徐々にエスカレートして行きました。
(詳しくは、オーディオの部屋 を参照下さい)
バッハの演奏から、数学的哲学的なイメージをよりリアルに感じる為には、オーディオ装置のキャラクターとして、情報に色づけや欠落が無く、あくまでシャープに音の陰影をきっちりと表現したい、そんなキャラクターが要求される感じでした。
音の印象を言葉で表現する事は難しいのですが、気の付く事を書いてみます。
★ ダイナミックレンジについて
ダイナミックレンジとは、極々簡単に言うと、再生可能な小さい音と大きい音の幅(レンジ)を指しています。
この他には、低音から高音までの幅を指した周波数レンジ、音の波形のズレを指した位相特性等がありますが、チェンバロの音の再生にとって一番重要なファクターは、高域のダイナミックレンジだと思います。
一般的には、ダイナミックレンジが狭くなると、凹凸の少ないのっぺりした感じの音になります。
チェンバロの響きを美しく再生する為には、高域のダイナミックレンジの確保はどうしても必要な条件で、これが確保されていない装置では、冴えない埃っぽい音調となってしまいます。
この高域のダイナミックレンジの改善ですが、割合簡単で、具体的には以下の項目の調整で改善可能です。

@、がっちりしたラックにガタ無しに設置します
A、電源の極性をチェックし好みの方向性に合わせます
B、接続ケーブルの方向性を好みの方向に合わせます
C、アンプに接続する機器の数は最小限にとどめます
詳しくは、 CDプレーヤー を参照下さい。

高域以外に、意外に必要なのは、低域のダイナミックレンジです。
チェンバロの演奏でも、楽器の箱成りとか玄のこすれる音とか、思いのほか低域の情報も入っている様で、低域のダイナミックレンジが確保されると、音の静けさとか楽器の存在感が感じられて来ます。
ただ、高域のダイナミックレンジに比べて、低域のダイナミックレンジの改善は、そう簡単には出来ない感じです。
この理由として、高域のダイナミックレンジは微小信号領域の純度をアップさせる方向のチューニングで改善できますが、低域のダイナミックレンジは装置の持っているエネルギーの絶対量が利いて来るため、エネルギーの絶対量を増やすとなると、簡単には行かない感じです。
C お勧めのソフト
ゴルドベルグ変奏曲  BWV988 
キース・ジャレット (独)ECM 1395 839 622-2  (P1989)
どれか1枚、推薦するとしますと、この1枚になります
演奏、録音共に素晴らしく、一般の方にも馴染みがあり、尚且つ割合簡単に手に入るソフトとしてイチオシなのは、キース・ジャレット演奏の、ゴルドベルグ変奏曲です。
偶然ですが、この演奏に使われているチェンバロの製作者は日本人(高橋辰郎氏)で、録音も長野県の八ヶ岳で行なわれています。
実際の録音は、1989年1月に八ケ岳高原音楽堂にて一週間かんづめ状態で行なわれ、その間のチェンバロの調律も製作者の高橋氏が行なわれたそうです。
アナログの場合、ヨーロッパプレスと日本プレスでは越えがたい差を感じる事が多かったのですが、CDになってその差はかなり縮まったように思います。
このCDの原版は独ECMですが、原版にこだわる必要は無いと思います。
因みに、私の持っているのは独プレスですが、このライナーノートは、曲の目次のみで日本のライナーノートと違って評論家の有り難いお誉めの文章が無いので、とても気持ちが良いです。
この辺りに、日本とヨーロッパの越え難い文化の差を感じてしまいます。
D CDの音質
アナログレコードに比べて音のバラツキが少ないと言われるCDですが、CDにも音の不安定要素はあります。
レコードもCDも、金型と呼ばれる金属製の型に溶けた樹脂を流し込み、冷やして固めてから取り出して製品が作られます。
この金型には凹凸があり、この凹凸が製品に転写され、レコードもCDも共にこの凹凸を読み取って音楽信号がピックアップされる訳ですが、高温の溶けた樹脂が凹凸の面を流れるため、凹凸が徐々に磨耗し、レコードやCDの凹凸も後から製造された製品ほど磨耗した凹凸となります。
アナログの場合、この凹凸の微妙な段差が文字通りアナログとして読み取られ、ニュアンスとして直接的に再生されるので、金型の磨耗はストレートにニュアンスの違いに現れます。
それに対してCDの場合、凹凸は信号の有無(0か1か)の情報として機能しています。
この事は、凹凸が若干磨耗しても信号の有無(0か1か)は伝わる訳であり、アナログよりも凹凸の磨耗に対して強いと言えます。
しかし、私の経験では、同じ原版のプレスであっても、友人の持っているCDと私の持っているCDを比較すると明らかな差があるケースが多い様です。
この原因としては以下の事が考えられます。
CDの場合も凹凸の読み出しにはエラーが発生していて、強力なエラー訂正回路によりデータを補正していますが、最初に読み出したデータにエラーの発生が少なければ、それだけ訂正回路のお世話に成る事も少なく、再生される音質も変わって来ると思われます。
ただ、実際に差を感じるとしても、金型の磨耗による音質の変化はアナログよりCDの方が格段に少ない感じで、その差の大きさは大雑把に言って理論通りの感じです。
E ジャケットデザインと音質
アナログはジャケットの面積が大きく、視覚的に訴える要素も大きかったと思います。
前述の通り、ケネスギルバートの演奏は、オーディオ的に私の装置とは特に相性が良く、また演奏も『 これは!! 』と感じるソフトが多いような気がします。
(残念ながら、全部ではありません・・・・・。)
そして、この様な感覚は、一部のソフトについては、ジャケットデザインにも、現れています。
具体的には、彼の演奏した、平均率、インヴェンション、小プレリュ−ドの3枚のソフトの初期の頃のジャケットデザインは、彼の演奏の数学的哲学的なイメージがよく現れている様な気がします。
車の場合、 『 モデルチェンジ前(マイナーチェンジを含む)のオリジナルデザインが一番素晴らしい 』 との説があります。
この3枚のCDも、現在のジャケットデザインは初期の頃とは違うようです。
インヴェンション&シンフォニア 小プレリュ−ド
BWV 772〜801 BWV 924〜929、933〜943、(他)
ケネス・ギルバート (P1984) ケネス・ギルバート (P1984)
(独)ARCHIV 415 112-2 (独)ARCHIV 419 426-2
この2枚のCDは 『 ミクロコスモス (小宇宙) 』 のイメージが凝縮されています
また、長岡鉄男氏も、その著書の『 長岡鉄男の外盤A級セレクション 』 の中で 『 ジャケットと音質は共通点を持っていることが多い。カラフルなジャケットはカラフルな音色、艶と深みのある印刷のジャケットは艶と深みのある音色、・・・・・ 、ジャケットデザインから受ける印象でソフトの購入を決める事がある。 』と書いておられました。
F レコード評論について
長年音楽を聴いていると、前述の様に転機となったソフトが幾つかあります。
私にとって、演奏、録音(音質)、楽曲の三拍子揃ったソフトとの出会いです。
この様な中で、レコード評論に目を通した事もありましたが、私にとってこれ程当てにならないものは無いと言う感じでした。
よくあるパターンとして、ある曲に対して評論家がベスト3とか、ベスト1を挙げて、ベストの理由を記述しているケースがあります。
この様な評論に出会うと、
『 この人は、果たしてどれだけの種類の演奏を聞いた上でこれを推薦しているのだろうか?私がこれはと思った演奏も聞いた上で推薦しているのだろうか? 』 といつも思ってしまいます。
もし、私がこれはと思ったソフトも聞いているのなら、これは同じ土俵の上で推薦している訳で、この場合は演奏に対する感じ方の問題でしょうし、もし聞いてい無いのなら、これは、情報の有無の要素が入って来ます。
そこで、私は、自分の聞いた範囲を記述した上で私にとって転機となったレコードの感想を書いて見ようと思います。